過去の記憶を振り返った時、一番最初に思い出されるのは案外辛かった瞬間であることが多い。
相棒(バイク)を見送ったその瞬間、一番最初に思い出されたのはやはり辛い思い出でした。
何年前だったかは忘れたけど、頬にあたる空気の冷たさが一年で一番冷たい2月頭の夜中の2時ごろ。場所は皇居外苑、二重橋の前。
ボクは突然進まなくなってしまった相棒に跨ったまま、どうしたらいいのかわからず呆然としていました。
一瞬押して帰ろうかとも思ったけど、絶対に身体がもたないとこれまた一瞬でかき消す。
それを何度か繰り返しているうちに、ふと、保険にロードサービスが付帯していることを思い出し電話。到着までの1時間を、真夜中の皇居前で過ごすことになったのです。
皇居の前なんて、当然遮るものは何もない。
吹き荒ぶ寒風の中、目の前を走り去っていく皇居ランナーを横目に『何が楽しくてこんな寒い中こんな時間に…』と思ったけど、向こうからしてみればバイクに跨ってうつむいてる自分を見て『何が楽しくてこんな寒い中こんな時間にコイツは…』なんて同じことを思っていただろう。
あまりの寒さに震えを止めることができない身体を感じながら、ただただ迎えを待った1時間。
これが一番の思い出。
他にもいくつか思い出すこともあるけど、そのほとんどが“寒かった思い出”なのはバイクならでは、なのかもしれない。
バイクは好きだけど、自分で所有する機会はほとんどなかった。
しかし、その後の人生に大きく役立つことになるバイクに乗るきっかけになったのは、先に東京に来ていた弟からもらったアドバイスでした。
『こっちに出てくるんなら、そっちでバイクの免許とってきた方がいいよ』
東京で生きていくということがどういうことか全く想像できてない自分は、実際にそこで生きてる身内からのアドバイスを驚くほど素直に受け取ったのを覚えている。
程なくして免許をとって上京し、のちに初めての職場になる面接で出された、たった一つの条件。
『バイク買ってくれたらすぐ雇ってあげるよ』
これが今はなき築地市場で働くきっかけでした。
早朝4時から働くために、バイク通勤が必須だったのです。
こんなカタチでいきなりバイクの免許が役に立つのかと驚きつつ、その面接のあとすぐにバイクを探しました。
見つけたバイク屋さんの最寄駅は見たことも聞いたこともない、なんて読むのかさえわからない地下鉄の駅。
東京に出てきたばかりで、いきなり30万円という当時としてはまさに清水の舞台から飛び降りる覚悟で買い物をしにきた自分に、下町のバイク屋さんはとっても優しくしてくれました。
実は家も探してると伝えると、知り合いだという不動産屋さんをその場で紹介してくれて、見たことも聞いたこともなかったその最寄駅は、自分にとっても東京で最初の最寄駅(本所吾妻橋※ほんじょあづまばし)となったのです。
その後、いくつかの相棒を経て、最終的に一番長い付き合いになった今のバイク。多分15〜6年は一緒にいたと思う。
西へ東へ、南へ北へ。いろんな場所に自分を運んでくれた、その黄色いボディがチャームポイントで一目惚れした相棒とお別れしました。
引き取りに来た業者さんがエンジンをかけようとしても、なかなかかかりません。
『バイクが寂しがってるのかもしれませんね』
男性が何気なく放ったその一言に、自分の感情が震える。
『次も大切にしてくれる方に出会えるといいんですけど…』
最後の希望的わがままを伝えると、返ってきた答えが意外すぎてビックリ!
『あ、多分このバイクは海外に行くと思いますよ!向こうのほうがメチャクチャ人気があるんで』
誰が乗るのか余計に気になるぅぅぅ!!(笑)
今の自分があるのはこのバイクのおかげ。
ありがとう。本当にありがとう。
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新しいバッグはまずサンプル作りから!
ここからわかることがたくさんあります。